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【読書感想】森博嗣さん著「孤独の価値」ひとりぼっちはそんなに悪いもんじゃないと思える本

森博嗣さん著「孤独の価値」

 

内容(「BOOK」データベースより)

人は、なぜ孤独を怖れるのか。多くは孤独が寂しいからだと言う。だが、寂しさはどんな嫌なことを貴方にもたらすだろう。それはマスコミがつくったステレオタイプの虚構の寂しさを、悪だと思わされているだけではないのか。現代人は“絆”を売り物にする商売にのせられ過剰に他者とつながりたがって“絆の肥満”状態だ。孤独とは、他者からの無視でも社会の拒絶でもない。社会と共生しながら、自分の思い描いた「自由」を生きることである。人間を苛む得体の知れない孤独感を、少しでも和らげるための画期的な人生論。 

 

街を歩いていて「何でぼくには彼女がいないんだろう?」「なんでみんな楽しそうなんだろう?」と思う。

「そんなこと考えてもしょうがないや」と頭をブルブルしてそんな気持ちを振り払う。

でも…

それをしてるだけじゃどこにもたどり着けない。

いいかげん孤独や寂しさに少しは向き合わないとと思い、この本を読むことにした。

 

☆ ☆ ☆

 

ひとりぼっちはそんなに悪いもんじゃない。

ぼくの寂しさは他者比較で生み出されてるだけのシロモノかも?

寂しいと感じたら「なぜ?」「それがぼくにとって悪いことなのか?」と考えていこう。

 

読み終えてこんふうに前向きな考えが湧き上がってきた。

 

具体的な手法を書こうと思ったが、多分に抽象的になった。それは、しかたがない。つまり、孤独などという抽象的な問題について書いているからだ。

 

そりゃそうだ。この本には孤独感や寂しさを解消する具体的な方法が書かれていないわけではない。書いてくれたうえで、最後に「抽象的になった」と言っている。ぼくはそこに共感し、好感を持てた。

 

この本では全編に渡って「本当にそうなのか考えてみよう」というメッセージがこめられている。

 

周囲に人がいなくなると、なにか自分だけ間違ったことをしてるのではないか、と感じてしまう人が多いはず。
人間は、やはり群れを成す動物なのである。そういった自然の生態を持っているから、「賑やか」というような概念が生まれるのだし、逆に言えば、「寂しさ」というものがあるのだ。
そんなこと当たり前だろう。だから何だというのか、と思う人も多いはずだ。
しかし、僕がここで書きたいことは、この「本能的」で片づけてしまわれる「支配」についてである。「人間というものは、こういうもんなんだよね」という簡単な了解によって、いかに多くの人が縛られ、不自由になっているか、ということなのだ。「そう感じるんだからしかたがないじゃない」という主張に対して、それが間違いだと反論するつもりはない。ただ、「それは、本当にしかたがないものなのか?」「人間というのは、そこから絶対に抜け出せないものなのか?」と問いたいのである。

 

公園で犬連れで楽しそうにしているグループを見る。

街で楽しそうに手をつないで歩いているカップルを見る。

Facebookで楽しそうに飲み会をしている姿を見る。

「ぼくはそんなことしてない。それでいいんだろうか?」と思いはじめる。

そこから「ぼくは孤独で寂しいんだ」と気づく。

この思考が間違っていることに気づかせてくれる。

寂しさに気づくんじゃなくて、わざわざ寂しいを生み出してる感じだ。

自分がわざわざ生み出したものなら解決できそうな気がする。

 

現実に、ふとした瞬間に寂しさを感じてしまい、それに押しつぶされそうになることはある。あの襲い方はえげつないと思う。突然やってきてあっという間にぼくを、ぼくがいる空間を覆い尽くす。そんなときのぼくの対処法は「考えないようにする」だ。だけど、それだといつかうまくやり過ごせない日が来るはずだ。

この本は「考えることが大事」と言っている。

 

大事なことは、そのダメージを受けたとき、つまり、寂しいとか孤独だなと感じたときに、自分がどんな虚構の「楽しさ」を失ったのか、と考えてみることである。場合によっては、それがたった一つの特定できる原因であり、また別の場合では、よくわからない沢山のものの積み重ねのようにも感じられるだろう。
そのうえで、さらに考えるべきことは、それ「楽しさ」がそもそも実在したものなのか、と確認する作業ではないかと思う。
考えることは、基本的に自身を救うものである。考えすぎて落ち込んでしまう人に、「あまり考えすぎるのは良くない」なんてアドバイスをすることがあるけれど、僕はそうは思わない。「考えすぎている」悪い状況とは、ただ一つのことしか考えていない、そればかりを考えすぎているときだけだ。もっといろいろなことに考えを巡らすことが大切であり、どんな場合でも、よく考えることは良い結果をもたらすだろう。

 

精神的にどん底にいるときに「考える」ことはしんどいと思う。そういうときは「なるべく考えない」「医療やカウンセリングなどの受け身のサービスを受ける」ことが有効だと思う。「このままだとマズい」「ここから抜け出したい」とか思えるなら、どん底から少し上がった状態だと思う。このときに「よく考えることは良い結果をもたらす」のかもしれない。少なくともぼくはそう思える。

 

そして「考える」ことについてさらに背中を押してくれる。

 

知らず知らずのうちに、考えるのは面倒だから、考えない方が楽だから、とずるをするようになってしまう。まずは、この姿勢を改める意味でも、簡単なことから考えてみることをおすすめしたい。
寂しいと、どんな悪いことが貴方に起こるのか?
<中略>
「じゃあ、寂しいとなにか良いことがある?」そう尋ねる人もたぶんいるだろう。
それが、実はある。

 

「寂しいと、どんな悪いことが貴方に起こるのか?」

この問いは重くてしんどくて一瞬放り投げたくなる。なんでかということ、意外と答えられないから。

寂しさではさして悪いことは起こらない→じゃあぼくの人生何が問題なの?

という風にどんどん考えていかなくてはいけなくなる。寂しさのせいにできなくなる。

それが大事だと言ってくれているのだろう。ぼくはそろそろそこに攻め込んでいかないといけないんだろう。

 

誰かがぼくを無条件に救ってくれるわけじゃない。

 

このような受信オンリィに人は、孤独に陥ったとき、自分を救ってくれる他者が訪れることをイメージする。誰かが助けてくれないか、と無意識に希望している。誰も助けにきてくれないときには、人生相談などのカウンセリングを受ける。これも、救ってくれる他者が、つまりは自分を認めてくれる、親しくなってくれる、それだけでも孤独が緩和される、という期待感が先行していて、対策を打とうという気持ちが二の次になっている場合が多い。

 

対策のヒントをくれる人はいても対策を打つのは自分しかいないんだろう。

しんどいけどやってかないとね… 

 

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とりあえず…

今日は生きるつもり。

 

 

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