【読書感想】川上未映子さん著「乳と卵」(芥川賞受賞作)関西弁での独特な味わい深い文章で、生きていくことの苦しさを共感できる
物語の概要は、帯の文章をそのまま引用でご紹介。
姉とその娘が大阪からやってきた。三十九歳の姉は豊胸手術を目論んでいる。姪は言葉を発しない。そして三人の不可思議な夏の三日間が過ぎてゆく。
こんな話。
関西弁での言葉の洪水でたたみかけてくる。一文が長く、とにかくなかなか句点(。)が現れない。だけど読みにくくない。頭のなかで考えているときって、そんな簡単に句点打たないもんね。登場人物の頭のなかにいるような感覚にしてくれて楽しい。
ぼくがヨダレをたらして味わった文章を3つほどご紹介。
これは姪(初潮を迎える年頃)のセリフ(というか頭の中?というか日記?)
あたしは勝手にお腹がへったり、勝手に生理になったりするようなこんな体があって、その中に閉じ込められてるって感じる。んで生まれてきたら最後、生きてご飯を食べ続けて、お金をかせいで生きていかなあかんことだけでもしんどいことです。
この"閉じ込められている"っていうのがいい!「体が自分の所有物って感じが持てない」感じ。ぼく41だけど今でも共感できるし。。
2つめは、主人公とその姉が一緒に銭湯に行った場面での主人公の頭の中
わたしはそれを思いながら行き来する女々の体を追ってると、よくあるあの、漢字などの、書きすぎ・見すぎなどで突如襲われる未視感というのか、ひらがななどでも、「い」を書き続け・見続けたりすると、ある点において「これ、ほんまに、いぃ?」と定点決まり切らぬようになってしまうあの感じ、今の場合は、わたしの目に女々の体がそうなってきており、だいたいなぜあそこが膨らみ、なぜ一番てっぺんに黒いものが生えており、しゅるっとなってこのフォルム、そしてなぜここでだらりんと二本でなぜ足はあのような角度で曲がってこんな具合をしているのかの隅々を、見失ったというか改めて発見したというかの状態になって、その改めて感から抜け出せぬような予感におそわれ端的にぞわりとおそろしくなり、「ま、巻ちゃんは、さっきから何を見てるの」と声をかければ、「え、胸」と即座に答えた。
これで一文。どうですかこの長さ!?(笑)そしてどうですか?この共感できまくる感じ。サイコー。ここでいうところの"未視感"をこんなにうまく表現することってできるんだ、スゴイ…
3つめは、これも主人公の頭の中
なにひとつうまくゆかぬ仕事、というか仕事、にもなっていないただの希望、というか、そんなようなもののこと、それは自動的に自分の年齢をも連れてくるもので、それらを思うと、それらについて考えてしまうと、それは途端に全停止、っていうか、単純にもう動けなくなってしまう、どうしようもないものであるのだけれども、「や、今年に入って巻ちゃん、わたし、うまくいきすぎ」などと言葉を足して、さらに笑って誤魔化した。
これも一文が長い! それよりも、「それは自動的に自分の年齢をも連れてくるもので、」ってよくないですか? なにがどういいのかと言われるとうまく言えないんですが…
ここの部分大好き!
後半の盛り上がりはスゴイ。ぞくぞくする。これはネタバレ絶対NG。読んで味あわないとダメ。
いや〜すごくおもしろい。
生きていく(=存在している)ことの苦しさをまるで自分のことのように味わえる作品だ。
最後に帯の書いてあった選考者の小川洋子さんの文章をご紹介。
勝手気ままに振る舞っているように見みせかけながら、慎重に言葉を編みこんでいく才能は見事だった。
おそれおおいけど、マジで同感です!
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とりあえず…
今日は生きるつもり。
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