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【読書感想】戸田山和久さん著「哲学入門」行き詰まってるぼくに勇気と安心をくれて、偏見をなくしてくれた

これまでなんとなく手を出しづらかった哲学。手を出してみた。

 

戸田山和久さん著「哲学入門」

電子書籍も出てる。

 

 

どんなことが書いてあるかというと…

 

いきなり結びの部分ですが、ぼくが勇気と安心をもらえた文章

ネーゲルのお勧めはこのどちらでもない。そもそも人生の無意味さは解決を要する問題なのかと問うことからスタートする。すでに述べたように、人生の無意味さこそがわれわれに関することがらのうちで最も人間的なものの一つではないのか。だとしたら、これをたぐいまれな贈り物として大事にするという生き方が考えられる。自分の人生に対する真剣さ、懸命さを一歩引いて眺め、「実は下らないことをやっているな。何やってんだオレ」とクスッっと笑い、また自分の人生に復帰して、真剣に生きていく。<中略>何と!オトナじゃありませんか。

<中略>

少なくとも、何か自分の外にあるより大きな価値に同化しなければ、時間・空間を超えた偉大な影響力を発揮しなければ、自分の人生を不動の動者としてコントロールしなければ、人生に意味が与えられないと考えるよりは、こうしたデフレ的な人生の意味で満足する方がずっとよい。何より、人に迷惑がかからない。

 

著者はあとがきで

哲学はホント役に立つ。ただし、役立つのは、現実を何とか変えようとしている人々に限る。自分の分野の前提に安住して業績数をインパクトファクターを稼ぐことだけを考えている人には役立たたない。

と言っている。

この長い本を一生懸命読んで、全てを理解したとは到底思えないけど、「あっ、哲学って自分に役立つかも」と思わせてくれた。

 

出だしは最近身近な「アルゴリズム」に関して、こんな内容のことが書かれてる。 

アルゴリズムとは、次に何をしたらよいかの指令がそのつどただ一通りに決まっており、それらの指令に従って一歩一歩進めていくといずれはかならず答えが出て終了する、そういう手続きのことだ。 

アルゴリズムを駆使して人間との会話を成立させるコンピューターは、意味を把握しないまま会話している感じがする。人間は意味を把握してるからコンピューターとは違うってこと? でも意味を把握するってそもそもどういうことよ?意味って何よ? 結局人間もコンピューターも同じかも?

 

このような話を、活躍中の学者さんたちの研究事例を使って、なんとかぼくのような素人でも「なんかケムにまいてね?」と途中で投げ出さないように、丁寧に書いてくれている。丁寧な分、長くなるのは仕方ない。この本が長いのは、著者のやさしさというか読者へ伝えたいという熱意だと感じた。しかも、文章のところどころにユーモアを入れ込んでくれてる。すごい配慮。

 

この情報の流れが、表象や意味の素になる(「い・あじのもと」と読まないで)。

 

ね。くだらないでしょ?(笑)

 

Googleアルゴリズム」という言葉がだいぶ広まってきて、アルゴリズムという言葉が身近な存在になっていたおかげもあって、おもしろく読めた。

 

その他、個人的におもしろかった部分を引用で紹介。

 

私は、分析哲学が「われわれの概念」を分析しているのだという自己認識をもつ限り、実験哲学からの問いかけは、その存在基盤を脅かし続けると思う。そうなると、

<中略>

 でも、これってもろプラトニズムじゃん。その通り。哲学的概念分析なるものは、そのやり方を見る限り、現代によみがえったプラトン主義だと言ってもいいんじゃないかな。

 

ネット上で「分析哲学」の本がおもしろそうだと思ってたんだけど、だいぶディスられてる…(苦笑)

 

地層からイリジウム層が発見されて隕石衝突(して恐竜とかが絶滅した)したという推論が出された話について。

この話は二通りに語ることができる。まず、イリジウム層からアルバレス父子が隕石衝突を推論したときに、隕石衝突という情報が生まれたという語り口。情報の創造だ。これだと情報を生み出し、伝え、受け取るのにはココロをもった解読者がいないとダメということになる。

一方、われわれは次のような語り方もするだろう。イリジウム層は隕石衝突という情報を「伝えている」。イリジウム層はその情報を担っており、その情報は六五〇〇万年の間、誰かに知られるのをじっと待っていたのだ。

情報は解読者が生み出すようにも、それとは関係なしに最初からそこにあるようにも、どちらの仕方でも語られる。

 

普段使いまくっている「情報」がどんなものなのかって、実は定義が難しいんだな…

 

 

それなりのボリュームだから読むのにだいぶ時間がかかったけど、最後まで読んでよかった。少なくともぼくの哲学に対する偏見は消滅した。

偏見って? こういうこと(笑)

 

哲学の大事な仕事の一つに、二つの対立的・対照的な考え方をつなぐ、あるいは「いいとこ取り」をするにはどうしたらよいかを考える、ということがある。えー、何だかテツガクっぽくなーい、テツガクって一つの考えをとことん突き詰めることじゃないの? とことん考えぬいて思考の泥沼の中でどこまでも前のめりに死んでいく、そういうのがテツガクでしょ。という声が聞こえてくる(……気のせいか? だったらいいんだけど)。

 

このユーモアがなければ、途中でギブアップしてたと思う。

 

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とりあえず…

今日は生きるつもり。

 

 

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