【読書感想】宮下奈都さん著「太陽のパスタ、豆のスープ」大人になりきれてない感に共感しまくり
宮下奈都さん著「太陽のパスタ、豆のスープ」
内容(「BOOK」データベースより)
結婚式直前に突然婚約を解消されてしまった明日羽。失意のどん底にいる彼女に、叔母のロッカさんが提案したのは“ドリフターズ(やりたいこと)・リスト”の作成だった。自分はこれまで悔いなく過ごしてきたか。相手の意見やその場の空気に流されていなかっただろうか。自分の心を見つめ直すことで明日羽は少しずつ成長してゆく。自らの気持ちに正直に生きたいと願う全ての人々におくる感動の物語。
20代で普通のOLが主人公。
結婚式直前に彼から別れを告げられガーン。
ってところからはじまる物語。
ぼくは40男だけど、この主人公にめちゃくちゃ共感できて、我がことのように楽しませてもらった。
主人公の設定がほんとに普通の女性だし、物語の起伏もあんまりないんだけど、やたらおもしろい。「感動の物語」というよりは「共感の物語」って感じ。
ラストで感動するというより、全体で共感の嵐って感じ。
なんでこんなおもしろいのか不思議。
主人公がどんだけ普通かというのがこちら。
もうずっと自分に自信を持てないでいる。もうずっとというのがどれくらいずっとなのか、思い起こそうとすると頭が痛くなるくらいだ。熱中症の後遺症なんかじゃない。自信なんて生まれた頃から持ったことがなかった気がする。
何かでいちばんになるとか、目立つとかいったことがぜんぜんなかった。勉強も運動も容姿も並だ。自分に対しての評価は大概甘くなるというから、自分で並だと思っていたということは実際には並よりちょっと下だったのかもしれない。
<中略>
見送った後、リビングに戻って大きなため息をつく。ひとりでいる特権はこれだと思う。つきたいときにため息をつけること。ため息に埋もれるようにそのまま少しソファで眠った。
ぼくの年齢、性別からすると、この描写を読んで「まだ若いな。かわいいなあ。」と感じるのが当然なのかもしれないけど、ぼくは違う。完全に自分を重ねた。
「ずっと自分に自信が持てない」→うんうん。わかるわ〜
「自分対しての評価は甘くなるというから〜」→その変に客観的な視点で自分を低く見積もる感じ。やるやる。わかるわ〜
「大きなため息をついて、ひとりでいる特権だと思う」→まさに!わかるわ〜
大人になりきれてない方には共感しまくりながら読めると思う。
いきなり電話をかけて誘うことのできる相手をひとりも思いつかなかった。
<中略>
ほかには、ほかには、と焦って考えるうちに、いちばん思い出してはいけないことを思い出しそうになってしまいった。頭を振って追い払い、なんとかやり過ごした。
それなのに部屋の電気をつけようとして、失敗した。私が電気をつけないとずっと暗いままなのだなあ、と思ってしまった。つまり、私はひとりだった。思い出さないようにしようと努めてきたけれど、もう無理だ。私はつくづくひとりぼっちだった。
この友達のいなさ具合。まさにぼくのこと。共感の雨あられ。
ここの後半の文章はとても好きだ。「つくづくひとりぼっちだった」に落ち着くまでの、短いけどちょっとまわりくどい微妙な感じ。いい。
二十何年間もやりたいことをやらずにどうしてきたというのだろう。やりたいようにやってきたはずだった。それなのに、やりたいことをやったという自覚がない。そもそもやりたいことが何なのか、具体的に思いつくこともできない。なんともったいない人生だったろう。
ああ、二十を四十に書き換えたら完全にぼくのことだわ。まいったな。。
ここまで紹介した引用で共感を持てる方は、読んで損はないと思う。おもしろく読めると思う。
こんだけ主人公が普通の設定で、幽霊のような飛び道具もなしで、なぞの提示もなしで、たいした盛り上がりもつくらずで、それでいてこんなにおもしろい小説はめったにないんじゃないかな? 少なくともぼくにとってはそうだ。
宮下奈都さんの作品を読むのはまだこれで2つだけど、2/2でアタリ。なので、他のも手を出していこうと思う。
共感は気持ちいい。
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