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【読書感想】これでもう苦しまない(仏教)耳が痛いけど幸せになれるかもと思える本

「これでもう苦しまない」

アルボムッレ・スマナサーラスリランカ上座仏教長老)著

 

内容(「BOOK」データベースより)

悟りを開いたブッダがいちばん最初に説いた教えが何か知っていますか?それは「四聖諦」と呼ばれる教え―ズバリ「苦しみをなくす方法」です。ブッダはこの教えを、いつ、どこで、誰にでも実感し、実践できる、大胆かつ革命的な真理として示しました。さあ、本物の仏教の知恵に耳を傾け、心の成長にチャレンジし、今日から「苦しまない」人生をはじめましょう。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

スマナサーラ,アルボムッレ
スリランカ上座仏教(テーラワーダ仏教)長老。1945年スリランカ生まれ。13歳で出家、スリランカの国立ケラニヤ大学で仏教哲学の教鞭をとったのち、1980年に国費留学生として来日。駒澤大学大学院博士課程で道元の思想を研究。現在は日本テーラワーダ仏教協会で初期仏教の伝道と瞑想指導に従事(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

 

最近宗教に興味を持ち始めたので読んでみた。

小説と違って理解できないというか理解したくないことも書いてあるんだろうなあと覚悟して読んだ。1回読んだだけじゃ耳が痛すぎて受け止めきれなかった。なのでがんばって2回読んだ。そのあと他の著書も3冊読んだ。

孤独なぼくは、本でしか耳の痛い意見を聞けない。だからこういう本はありがたい。

 

苦しみは、外から襲ってくるものではなく、天罰でもなく、生きることそのものなのです。それを理解することによって、究極の解脱に達するのです。ですから、「生きるとは何か」を研究することで、苦しみを乗り越えた解脱に達するはずです。神に祈ったりして、外の力に頼る必要はありません。家の中で見失った通帳は、家の中を調べれば見つかるのです。
要するに、私たちの人生そのものが、真理を発見するための実験室なのです。

 

道は開ける D・カーネギー

なんかを読むとキリスト教の「祈り」で救われている話がたくさんあってすごく惹かれるんだけど、この本ではそんな神への祈りをバッサリ斬ってる。

理屈はわかるけど…

「祈ればいい」って言われたほうが楽なんだよな…

だから日本で広まった大乗仏教は「祈ればいい」が主流になったみたいだ。

ちなみにこの本は上座仏教。ブッダ(お釈迦様)の教えに忠実な考え方らしい。

 

仏教では、人間の人生はうまくいっているとは思っていないのです。人生は問題の泥沼に溺れているようなものだと思っています。 

 

聞きたくないマイナス思考な前提だ。まあでも確かに、少なくともぼくの人生はずっとうまくいってない。この前提に立ってじゃあどうしてくって考えてくのが正論なのかな? ちょっとしんどいな…

 

「それなら、仏法は楽しい話になるにちがいない」と思うでしょう。でも、その期待はだいたい外れます。私たちの生き方の間違い、思考の間違い、感情の問題などを詳細にとりあげているからです。
聞いている人々はみな、耳が痛いという気持ちになってしまうでしょう。
<中略>
仏教を学ぶ場合は、聞きたくはない話を聞かなくてはいけなくなります。やりたくはないことをやらなくてはいけなくなります。そう覚悟したほうがよいのです。
でも、決して不幸にはなりません。幸福になることは保証できます。 

 

ここだけ読むと「幸福になることは保証できます」なんて調子のいいこと言ってみたいに思えるかもしれないけど、まったくそんなことない。ただ、そこに到達するのが簡単じゃないってこと。簡単だとは一言も書いてない。

 

いまだに人に「どのように生きればよいのかなんてわからない。生きることには何の目的もない」などと言うと、呆気にとられます。「生きることは苦である」と言うと、度を越した失言だと思われるのです。
正見を作るためには、自分の人生をそのまま観察しなくてはいけません。それによって、生きるとはたいへんなことだと発見するのです。「こんなたいへんなことなのに、何でしがみついて生きることに挑戦するのか」と見てみると、渇愛を発見できるのです。

 

まずこんな考え方を受け入れるのが大変。「言ってることはわかるけど…」というよくある全然頭が受け入れない状態だ。でもぼくには「わかりたい」という欲求は芽生えた。だから2回読んだし他の著書も読んだしダライ・ラマ14世の本も読んだ。

 

「ありのままに見る」「ありのままに観察する」とは、簡単で当たり前のことではないでしょうか。それはそのとおりですが、実行しようとすると問題が起きます。私たちは、ありのままに見ているのではなく、あって欲しいままに見ているからです。 

 

はい。おっしゃるとおりです。耳が痛いです。「あって欲しいままに見ている」というのはホントそのとおり。あって欲しいままに物事を見て、そのとおりになってなくて腹が立ったり悲しくなったりする。「ありのままに見る」ってすごく難易度高いと思う。

 

この本で一番引っかかったのがこの部分。

他の生命に害を与えることを仕事にすると、それが邪命になります。そう聞くと、漁師さんはどうしますか、畜産業の人はどうしますか、害虫駆除業者の人はどうしますか、などといった問題が思い浮かぶかもしれません。しかし、それは仏教に関係ない問題です。人間が勝手に決めた仕事を何でも仏教で正当化する筋合いはありません。仏教は生命の法則にのっとって、事実を語っているだけなのです。

 

最初読んだとき「えー(不満)」と思った。でも「まてよ」とも思った。

「じゃあ◯◯はどうなんですか」といった指摘、反論は簡単に言える。けどそれを言ってもどこにも行けない。

言われたことに対して矛盾している事象を挙げて論戦で勝ったところで何にもならない。ぼくは論戦に勝ちたいんじゃなくて幸せになりたいんだから。

ってところまでは言語化できるんだけど、いまいち納得しきれてない。当分引っかかり続けていくんだろう。

 

この本のおかげで仏教(というか宗教全般)に対する興味が強くなった。

いろいろ読んでいこうと思う。

 

もしかしたらぼくは幸せになれるかも。

 

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とりあえず…

今日は生きるつもり。

 

 

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